サーフカヤック世界選手権/コスタリカ2005   
Campeonato Mundial Kayak Surf 2005

■世界選手権
2005年10月19日(水曜日)午後1時30分、成田国際空港の出発ロビー・シンガポール航空のチェックインカウンターの前に私とカメラマン林eiko(ワイフ&パートナー)は、3時間前から大荷物と特注のケースに入ったサーフカヤックを山積みにして1番前に並んでいた。思えば、今回のサーフカヤック世界選手権にエントリーしたのが1年半前、その頃、私は2004年サンタクルーズのカヤックサーフフェスティバルに参加していた。大会の途中でパーティーが開催されていて、その会場での会話に「コタリカで会おう!」とか、「ジャパンチームを連れて来いよ!」など、かなり飛んだ会話をしていた。実は、その時は何のことだか良くわからなかった。それが「第18回サーフカヤック世界選手権」の事だとわかったのが帰国してからだった。日本では、まだまだ知られていないサーフカヤック。サンタクルーズで知り合ったジム・グロスマンやジョン・グロスマン、デニス・ジャドソン、キム・スプラーグ、ディック・ウォールド、そして、マイク・ジョンソンの存在と経歴を知れば知るほど私はこの世界に引かれて行った。「世界選手権となれば、まさに世界のチームから選抜されたトップレーサー達の祭典だ!この目で観たい、そして、自分のレベルも知りたい、世界に通用するのか?」好奇心は止まることなくテンションも上がって行った。カヤックインストラクターとしての体力維持はこれまでもやっていたが、初心に戻り筋トレから始めた。もちろん、サプリメントは欠かせない、「スポーツ科学」を読み直し、自分に不足しているものを積極的に取り入れて行った。そして、カヤックは、これまで乗っていたロングボードからショートボードに代えることにし、マイク・ジョンソンとビンス・シャイがデザインした「AQUERIUS」で挑むことに決めた。後で知ったことだが、サンタクルーズでジムが言っていた「これが新しいサーフカヤックで、なかなか良いよ!」この時は、まだ名前が付いていなかったが、それが「AQUERIUS」であった。乗せてもらった時の感覚は今でもはっきりと覚えているが、凄くタイトだった。
2004年の日本は台風の当たり年、伊豆は良い波が来ていたので練習には最高だった。しかし、年が明け2005年を迎える、ゴールデンウィーク、そして、夏が終わり、台風のシーズン、幸か不幸かこの年は台風の発生は少なく波が来ない。フィッティングにも時間が掛かり、思うように練習が出来なかった。サンタクルーズ・スチーマーレーンは、レギュラーのポイントブレークで世界的に有名なポイント。では、コスタリカの波は? 確か、2004年の夏だったと思うけど日本でブレークしたサーフィンの映画で「STEP INTO LIQUID」のDVDの中にコスタリカが出てきた。サーフィンの世界選手権なども開催されている世界的に有名なサーフィンのメッカである。未知らぬ世界の波に対する不安と恐怖を克服するため、サイズの大きい波を狙ってダンパーや波に巻かれながらのロールアップなど体力と度胸だけは付けたつもりだった。
1年半は、あっという間に過ぎた。この間、頭の中は常にコスタリカ世界選手権のことでいっぱいだった。未知の波に乗れる喜びと不安が交錯する自分と世界最高のプレイが目の前で見られる!という客観的な期待が入り乱れる日々だった。 想像の1年半がいよいよ現実に向かってここから飛び立つ時を待っていた。

ロサンゼルスで一泊し、タカ航空に乗り換え更に5時間のフライト。ようやくコスタリカの首都サンホセに到着した。ここから四駆のレンタカーでハコに向うが、さすがに四駆でなければ無理だろう!道路は穴だらけ、スコールで道は泥だらけ、JAFなどないし、道路標識もあまり無い。途中、渡った橋の下には
ワニがいた。
コスタリカ/Costa Ricaは、スペイン語で、『豊かな海岸』を意味する。北米大陸と南米大陸の中間に位置し、近隣国にホンジュラス、パナマ、コロンビア、ニカラグア、エルサルバドル、ジャマイカ、キューバ。四国と九州を合わせた程の大きさの国で太平洋とカリブ海に面し、国土の中央部を現在も活動中の火山帯が占め、自然豊かな素晴らしい国だ。
2時間ほどの道のりだった。ホテルと言うより、選手村という雰囲気でとっても居心地が良い!世界中から集まったトップサーファー達と挨拶を交わすたびに実感が湧いてくる。

■大会会場
世界選手権の大会会場の条件として、6〜10フィートの波があること。また、選手宿舎から移動が可能なこと。つまり移動可能圏内にコンディションによって会場を移せるように複数の会場を用意する。
第1会場のEsterillos Oeste・・・Jaco より車で南に40分、サーファーが少なく、グレートビーチブレークで波は大きく、比較的ロングライドが可能な好立地。レストランもビーチ前にあるので便利。

第2会場のPlaya Hermosa・・・Jacoより南に車で10分、Low & High tideで大きなビーチブレーク、コンディションが良ければチューブが出来るのでボードサーファー達も多い。引き波がかなり強く要注意。

第3会場のJaco Beach・・・レストランなども多くあり、最も近くて良いが、Low tideの波のフォームが崩れてしまう。

第4会場のBoca Barranca・・・グーフィーで3〜10フィート、 コスタリカでは最もトラディッショナルなウェーブポイントであり、サーフィンのベストタイムは、午前5時。Low-tideは、ワールドクラスのビッグウェーブが立つが、High-tideは、かなりサイズダウンするため、時間制限があり、予備ポイントとなる。
以上の4会場が用意されている。それぞれ会場ごとに特徴があるが、総合的に判断してサイトが決定される。

■参加チーム
世界から16チーム、総勢160名が参加し、国別で言うとアメリカからは、U.S.West、U.S.Eastの2チームでイギリスからは、スコットランド、ウェールズ、アイルランドはアイルランド、北アイルランドという様に複数のチームが参加している。日本からはもちろん個人参加のためチームなどないが、世界選手権の参加資格はチーム参加でなくてはならない、今回、日本、ブラジル、アルゼンチン、バスク、コスタリカから個人参加。これは今後の発展のために個人戦に特別参加資格を得ている。しかし、団体戦に参戦しなくてはならないために5カ国混合のチームを結成し、団体戦に挑んだ。

■ボードレギュレーション
サーフカヤックの種類は大きく2種類に分けられる。インターナショナル・クラッシック/3m以上でフィン無しとインターナショナル・オープン/長さ制限無し、フィンも自由だ。全てのボートの先端は直径50mm以上であること。また、トップとテールエンドには直径8mm、結び目から長さ30cm以上、ボードの端から30cm以内のラインをつける。コーミングがあり、スカートが装着出来て水の浸入を防げる構造、エアーバッグを装着、浮沈構造にする。ヘルメットとPFDを装着する。

■マヌーバー
Basic/Intermediate/Expert の3段階に分けられる。
Basic・・・カットバック、ボトムターン、ローラーコースター、ショルダーライド、フェイスロール、エンドー、バックサーフィン、180°ターン。
Intermidiate・・・ラウンドハウスカットバック、リップターン、360°ターン、フローター、チューブライド、ポールヴァレットループ、エンドーウィズピロエット
Expert・・・ヘリックス、エアリアルウィズリエントリー

■カテゴリー
ジュニア、オープン、マスター、グランドマスター、ウィーメンに分けられ、それぞれインターナショナルオープンとインターナショナルクラッシックがある。カテゴリー別に4人1組に分かれて競い合い、各組2位までが2回戦以降に進み勝ち抜いてゆく。基本のルールはサーフィンの国際競技規定に沿って行われ、ジャッジは4~5人で構成されその結果がヒートごとにボードに貼りだされる。スコアーの高い選手が勝ち抜いて行く。テクニックは、3段階に分けられ、難易度の高いパフォーマンスがハイスコアーとなる。今回、5ヒートに参戦し、うち3ヒートは個人戦で2ヒートは団体戦。結果は、クラス別マスターズで1回戦敗退したが、グランドマスターズで2回戦まで進み、結果は6位で自分でも驚いた。想像以上に世界の壁の高さ、厚さを目の当たりにして2回戦に進むなんて思わなかったからだ。ちなみに、「U.Sウェストの選手の場合、世界選手権の出場権を得るには、2年間に5回以上のツアーに参戦し、最終スコアーが男子の場合上位2名、女子1名、ジュニア1名しか上がれないんだ!」とディック・ウォールドから話を聞いた。

■サーフィン哲学
波の極限地点において、最も優れたスピード、パワーを持ったコントロール性を引き出し、それらのマヌーバーを同じ波の上を長く乗り続けながら最も大きく、良い波の上で行う。
※ たとえ90%以上のマヌーバーであっても同じ波の上でなければならない。

■ジャッジ/評価基準
評価は、The Assotiation of Surfing Professionals(ASP)のボードサーフィンの規則を基準に行われる。ウェーブセレクション、テクニカル、アーティスティック、ライディング距離、フィニッシュの5つをワンライド10ポイントで評価し、ワンヒートに対してベスト2ウェーブのスコアーで競う。選手たちは、ワンヒートに最低3ウェーブ以上のライディングをしなくてはならない。

■試合のスケデュール
10月20(木)〜21(金)はレジストレーション、ボードチェック、選手ミーティング、22(土)〜25(火)の4日間が個人戦、26日(水)は1日休息日、27(木)〜28(金)団体戦、29(土)〜30(日)個人セミファイナル&団体戦、30日(日)個人、団体の決勝、表彰式。

■競技
大会初日、宿舎から車で南へ約40分、途中、牛や馬、小高い丘やサーフボードを抱えたヒッチハイカー達、のどかな景色が続く。第1会場のエステロス・オエステに到着。スタッフが駐車場まで誘導をしてくれた。やしの木が海岸の前に生い茂り、その間にサーフカヤックを積んだ車が並んでいる。ジャッジスタンドが見える。ベテランジャッジのブライアンだ。彼とはサンタクルーズで会っている。スタートを告げるホーンが大きく1回鳴り響く。車から降りるとカリブのミュージックががんがんかかっている。目の前に広がるオーシャンウェーブでは既に熱いヒートが繰り広げられていた。湿度が高く蒸し暑い、気温は摂氏30度を越えていた。「この雰囲気だ!」世界選手権の開催地として選ばれた理由がわかる。さっき、少し触れた“サーフィン映画の「STEP INTO LIQUID」”のタイトルに続くコピーに“終わりなき夏へ、ふたたび・・・、サーファーの数だけ物語があり、波の数だけ楽園がある。”と記されていたことを思い出した。まさに、こんなコピーがバッチリ当てはまる。これからドラマが始まる。こんなところで世界のトップサーファー達と同じ波に乗れるという喜びが湧き上がってきた。
しかし、カリブ海で発生した最大級のハリーケーン/ウルマの後尾が残り、天候は悪く、雨や風に見舞われた。波も大きく6~9フィートあり、ショアブレークで絶え間なく波が寄せてくる。グリーンをとらえるのに苦労し、アウトするにもチャンネル探しに右往左往した。そんな中、早速、グランドマスターズ・オープン、ジュニアー・オープン、マスターズ・オープン、ウィーメンズ・オープンが開かれた。この日は、自分も午後2:00と4:20分の2ヒートあり、初日からきついライディングになった。 3日目以降から天候が回復して、ようやくコスタリカにふさわしい天気に恵まれた。
サーフカヤック世界選手権の競技は8日間に渡った。1日に行われるヒート回数は15〜25回でスタート時間は朝6時40分から夕方4時過ぎまで20分ごとに行われる。試合中の潮汐表(TIDE CHART)によると潮差が10フィートにも及ぶため、ヒートの時間によってコンディションがめまぐるしく変わる。
今回、自分の場合は、8日間の大会期間中に個人、団体含めて合計5ヒートに出場したが、勝ち抜いてベスト4以上になるためには、個人だけでも3ヒートは出なくてはならず、体力が勝負につながってくる。大会中、後半になると選手達に疲労の色が見えてきた。ちなみに私は、後半から風邪を引いて体調が崩れたが、後は気合でやるしかなかった。もともと彼らに比べ体力差がある日本人にとっては非常に厳しい競技であるのは話すまでもないでしょう。
世界選手権のレベルは、6〜10フィートの波で、ワンウェーブ10アクション以上のパフォーマンスを4〜5ライドが必要だ。日本でこの様な条件でサーフ出来る時は、熱帯低気圧が発生している時くらいだろう。それでもサイズは大きいが、海岸地形の関係でダンピングウェーグが多くてなかなかロングライディングは出来ない。今回の世界選手権は、自分にとって今後の大きな課題を残してくれた。しかし、それは自分にとって、果てしなき挑戦でありモチベーションとなった。


■サーフカヤック競技の歴史
1960年 最初にサーフカヤックコンテストが開かれたのは、イギリス/イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、ジャージーが、アメリカ/ウエスト、イーストがそれぞれ競い合った。
1985 サンタクルーズ・サーフカヤックフェスティバルが毎年3月に開催されることに決定。以来、スチーマーレーン・ポイントブレークで世界的に有名になった。

1991
第1回世界選手権開催/2年に1回開催
スコットランド北端、ベントランド海峡 サーソーで開催。
パーセプションのサーベルが制した。その後、イギリスのメガ社がジェスターを製作。
1993 第2回世界選手権開催 カリフォルニア・サンタクルーズ
この頃からグラスファイバー製のサーフカヤックがメガ社から発進。スポーツとして人口も増え、オーシャンサーフィン用のカヤック、つまりサーフカヤックがデザインされて行った。この年、アメリカチームが優勝。

1995
第3回世界選手権開催 コスタリカ・ボカブランカ
気候が良く、水温も高いボカブランカは、世界の選手達にとって最高のコンディションであった。1995年は、イングランドが制した。

1997 第4回世界選手権開催 スコットランド・サーソー 2回目
ブラジル、スペイン、フランスが加わり、アメリカはウエスト、イーストで参加、コスタリカも参戦。ファイバーグラス製が主流になってくる。
World Ski, Mike Johnson Boats, Necky Boats, Mega など、
ハイパフォーマンス化され、フィン付が登場する。 イングランドが連勝

1999 第5回世界選手権開催 ブラジル・リオデジャネイロ
参加国/チームが増え、イングランド、ジャージー、ウェールズ、コスタリカ、スペイン、アルゼンチン、USウエスト、USイースト。ハイパフォーマンスがが個人、団体に公式なイベントとなる。USウエストがワールドタイトルを制す。

2001 第6回世界選手権開催  サンタクルーズ
イングランド、スコットランド、アイルランド、ジャージー、USウエスト、USイースト、ドイツ、ウェールズ、スペイン、アルゼンチン、ブラジル、コスタリカ、が参加。個人のインターナショナルクラッシックとハイパフォーマンスのイベントが男子、女子、ジュニアー、マスターズに取り入れられた。
この年、イギリスの小さな島、ジャージーのチームがUSウエストを抑えて優勝する。

2003 第7回世界選手権開催  アイルランド
9月12〜21にアイルランド北西沿岸のイースキー・リーフブレークで開催。
アイルランドがホームでチーム優勝を飾る。

2005 第8回世界選手権開催 コスタリカ・エステロス オエステ
ビーチブレーク6〜9フィートの波。世界16チーム参加のうち11チームがナショナルチームで今回からサーファージャッジが参加、カヤックのニューデザイン化が進み、フリースタイルからの移行者の参加も増え、更にハイパフォーマンス化される。エアリアル、リバーシーンの新たな動き。 
2007 第9回世界選手権開催  スペイン 北部MUNDAKA

by T.Nagaoke